imagical pleajous

世界のディズニーリゾートと風間俊介さんが大好きすぎて、2018年にJGC修行を決行。お気に入りのコスメや美味しいものについても語ります。イエベ春、骨格ウェーブ(プロ診断)です。

10年前の3月11日

初めてのアメリカ旅であり卒業旅行でもあった、2週間ほどかけて楽しんだDLR&DCLから帰国したのが3月8日の早朝。9日と10日は春休みなのでバイト先の平日シフトを拾い、11日も空きあるから入る?と言われていたものの、後輩と飲み予定で早起きできない自信があったので、「あとは12日と13日の土日で4年間のラストを締め括ります~」と断り、10時くらいに起きて、旅行中に溜まっていた番組の録画を消化して過ごしてました。

学生時代の楽しいことは、全てここを中心としていたと言っても過言ではない、大好きだった場所でのお仕事を、最後の週末を迎えることなく卒業するなんて思っていなかった。それが私の2011年3月11日。

結局、土曜日は自宅待機で日曜日に退職手続きのために本社まで行きました。「液状化」ってこういうことなのか、というのを毎週通っていた駅前のバスロータリー付近の変化を目の当たりにして実感。

3月11日の当日、仕事や学校に行っていた家族たちは幸いにも普段と変わらない時間には帰ってきていた(妹と父は自転車移動、母は電車で帰ろうと地下の駅に入ろうとした際に揺れを感じたので、バスでの帰宅に切り替えて無事に職場を脱出)ので、一人きりで不安に潰されそうになる、といった状況にはなりませんでした。

4月から新生活が始まる予定だったけど、どうなってしまうのだろうか。卒業式は(元から出るつもりがなかったけど)どうやら中止になるらしい。当日はまだまだ、日本各地で起きていることよりも、自分の未来が心配で。

今使っているTwitterのアカウントは、10年前の1月にディズニー旅行ブログの広報用として作ったサブアカウントだったので、ログを辿ってみてもあまりTLを荒らさないようにか非常に静かにしていました。

 

当時はサブアカで、リアルな知り合いはこちらにいなかったから、夕方にRTを1件した後は翌朝まで静かにしていたみたいです。ガセツイも多かったから、RTするのも慎重に…って感じでした。当時はまだスマホじゃなくガラケーの民だったしな。

時間が経つにつれて、東北エリアでの被害状況が明らかになっていく日々。阪神淡路大震災の時に、火災や高速道路の倒壊の映像をニュース越しに見ていた頃は、まだ子供すぎてよく分かっていないことも沢山あったけど、あの時とはまた違った地震による影響が出ていることを身を持って感じていたのを覚えています。

https://stat.ameba.jp/user_images/20120712/19/imagical/1f/45/j/o0481072012075608682.jpg?caw=800

楽しいことだらけだった、初めてのDLRとDCLの話をアウトプットしたいけど、今はそんな浮かれた話をしている場合じゃないのかなとか、いつ電力の供給に影響が出るか分からないから、娯楽に余計なエネルギーを使うのは良くないかなとか、同じ日本国内で起きている事実と向き合うべきだという気持ちと、あの日の地震が起きなかった世界線で達成しようとしていたことを実行したいという気持ちが、頭の中で戦いあったりしていたこともありました。

filter:follows since:2011-03-11_14:46:18_JST until:2011-03-12_09:00:00_JST - Twitter Search

上記のフィルターで検索すると、自分が今フォローしている方々が地震発生時から翌朝までにどんなツイートをしていたのかが分かるということで、リンク貼っておきます。当時からアカウントを持っていた人は今もフォローしてる方の一部なんだなというのにも、社会人で仕事してた方々は大変な状況だったんだなというのを改めて知ることができ、そして当時の混乱や情報が錯綜していた状況を改めて思い出します。

10年前と今を比較すると、スマホの普及で個人が情報発信を気軽にできるようになっている令和の時代。本当に正しい情報とは、一個人の些細な「つぶやき」は信用に値するのか、「災害」そのものに対する向き合い方以外にも改めて考えるべきことがあるなと考えさせられます。 

 
 
 
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2019年の初夏、放送前の先行上映で一足早く観賞させていただいた『監察医 朝顔』の第1話では、物語の後半にあの日の出来事を描いたシーンが登場しました。前情報なしに触れたので、フィクションの世界であるとはいえ、私でさえもボロボロに涙してしまったけど、実際に避難所での生活を余儀なくされた方や、大切な家族を失ったり、今も行方が分からない人たちにとっては、もっと辛いのではないか。そんな風に勝手に思ってしまいましたが、あの日を体験した人の数だけ様々な思いがあるというのを、これから先も忘れないでいることが大切なのかな、というのをシーズン2の最新回を見て考えさせられました。

上手く言葉にできませんが、あの日を生きた人の数だけ、思い出も考え方も傷として残っているものもあって、「誰かと同じ」じゃなくてもいいんだよね、というのを10年が経過した日に改めて言葉にしてみた次第です。いつも以上にまとまりがありませんが、今日はこの辺で。