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世界のディズニーリゾートと風間俊介さんが大好きすぎて、2018年にJGC修行を決行。お気に入りのコスメや美味しいものについても語ります。イエベ春、骨格ウェーブ(プロ診断)です。

久しぶりの自担の舞台が、何度見ても好きになれない作品だった時 ~『パークビューライフ』の率直な感想~

世田谷パブリックシアターにて、2021年4月18日(日)まで上演中の舞台『パークビューライフ』東京公演。早いもので東京での公演期間も残すところ千秋楽のみ。今回の作品は約1年半ぶりの舞台、特に現代劇の新作としては5年ぶりということで非常に楽しみにしていました。

しかし、こうして「楽しみにしていました」と書いてしまう感じの、私との相性でした。初日の公演を観た時から、すでにあれこれ思うことがあったのですが、まだ公演日も残っているから本編について書くのは控えよう…ということで、風間担界隈の近況と自分がこれからあるべき方向についてを述べて、少し気を紛らわせたりしたものの、2回目、3回目と回数を重ねても「腑に落ちないポイント」のほうが色濃く心に残ってしまって、今に至ります。

「パークビューライフ」のあらすじ

登場人物は4人。瀬戸内海の小さな島から東京に出て暮らしてきた3人のアラサー女性と、新宿御苑を見渡せるヴィンテージマンションの最上階で、1人きりで絵を描きながら細々と暮らしている男性。そんな3人と1人が出会うところから、物語は始まります。現在、作品の公式サイトで公開されているあらすじがこちら。

新宿御苑が見渡せるヴィンテージなマンション。
その最上階に、僕は暮らしている。
情けないぐらい、ずっと一人だ。
ある晩、バルコニーに職を失った女子3人組が忍び込んできた。
突如現れた彼女たちに思わず・・・
「僕と一緒に暮らしませんか?僕、ゲイなので。」
そこから僕らはまるで家族みたいに、友達みたいに。
男女関係なく、暮らしている。
こんな暮らしがずっと続けばいいのに。

このあらすじ、実は舞台の上演が決定した今年の2月に各媒体でニュースになった際に紹介されていたものとは異なっています。当初、公表されていたのはこんな内容。私が初見の際にどうも受け入れきれなかったのは、この段階のストーリーから内容が変わっていたことを知らずに観ていたからかもしれません。

私たちは、都会に出て寄り添うように生きてきた。でも、今夜が、一緒にいられる最後の夜。
そんな私たちの前に天使のような男が現れた。でも彼は・・・・
新宿御苑が見渡せるヴィンテージなマンション。その最上階には、無名の画家がずっと住んでいる。
今、彼はそこでシングルの女性たち三人と一緒に暮らしている。まるでシェアハウスのような。
四人は仲良しだ。まるで家族みたいに、友達みたいに。男女関係なく、暮らしている。──彼はゲイだから。
何年か前のことー新宿御苑あたりのバーで女性三人が、話をしていた。それぞれ、人生、かなりきつい。
頑張ってもそんなに暮らしは豊かにならない。家賃高い、理想の部屋とかつくりたいけど、それをするためには死ぬほど働くことになって部屋にいる時間がない。男ももう嫌だ。恋愛はいらない、したくない。
こうやって三人一緒にいれば強いけど、一人だとみんな弱い・・・・くじけそうだ。
隣の席で、一人飲んでた男が提案する。「僕と一緒に暮らしませんか?」

このあらすじを読んだ時、何が楽しみだったって、かざぽんが演じるのが「ゲイの男性」だということ。過去に作中にLGBTsの登場人物がいたことはあっても、本人がそういった役柄を演じたことはないし、これまでにEテレのハートネットTV『ブレイクスルー』で、様々な人の「性」に関した思いや悩みに触れてきた彼が、どういったアプローチで今作のキャラクターを描くんだろう、というのが私が抱いていた『パークビューライフ』という演目に向けての最大の期待だったんです。

思っていたのと違ったストーリーの展開

さて、ここから先は本編のネタバレを含みます。東京公演の千秋楽、または大阪や名古屋の公演で初見になる前にストーリー展開を知りたくないという方はご注意下さい。観劇済みの方、または予定のない方はどうぞこのままお進みください。

「パークビューライフ」フライヤー

えっと、私の中での生まれた多数の引っかかりの中でも、特に影響力の大きかったポイントから行きますね。かざぽんが演じる「成瀬 洋」という人、ゲイじゃなかった。ゲネプロ取材の様子を紹介するワイドショーでも、ゲイの画家であるという点を全然出してこないな~と思っていたら、そんな顛末だった。

でも、あらすじにはこう書いてありますよね。「僕と一緒に暮らしませんか?僕、ゲイなので。」って。そんなウソをついてしまった本人のお気持ちとしては、下心があるとかそういうのではなくて(この温度感は観てもらわないと分からないけど)、自宅に突然忍び込んできた、見ず知らずの女性3人組と共に生活してみたいけど、初対面の男が突然「一緒に暮らさないか」と提案したら断られるだろうから、という理由なんだそうです。なんか、根幹に下心がないのは分かってるんですけど、タチ悪くないですか。そういうのを信用材料として使おうとするの。

彼がこれをカミングアウトするのは、4人での楽しい共同生活がしばらく続いてからのこと。その流れも「何か思い詰めてるみたいだから」と3人娘が無理矢理に話させようとする→「ゲイだと言ったのは嘘でした」と言う→具体的な理由は述べずに「洋ちゃん、それはひどいよ!」とかなり一方的に責められるという展開です。

何というか、大きな流れとしてそういう展開になるのは悪くないと思うんですよ。ただ、会話劇として作られた脚本で書かれているのが、こんなやり取りでストーリー展開させちゃうの?もっとやりようがあったのでは?と、回を重ねれば重なるほど思えてしまって。

例えば、洋ちゃんのカミングアウトに対する望の怒りについて。これ、洋ちゃん→3人の誰かを好きになっちゃったとか、逆に3人娘の誰かが洋ちゃんを異性として好きになりかけていて、でもゲイだから自分の気持ちを抑えてるとか、そういうのだったら「それはないでしょ!」って怒りを覚えても仕方ないと思う。あと、「そういうウソ、本当に異性に興味がない人のことをどう思っていてついたの?」とか。けど、そういうわけじゃない。4回目の観劇だった今日、改めて集中して聞いてみたけど、「東京でゲイの人と共同生活してる私」が特別な存在だと思ってる望が、そう思って過ごしてきた場所を崩されたことに戸惑って、その事実を受け入れることを拒んでいるようにしか見えなかった。

玉枝は、望ほどそういう意識があったわけではなさそう。でも、ゲイじゃないと言われた瞬間に「自分のこと、女として見てたの?!」みたいな感じで、これまでに過ごした時間に起きたことを思い出す。彼女、出会った初日もそうだけど、「男はみんな女のことをやらしい目で見てる」の思考が強いよね。そういう考え方になってしまった理由が説明されてれば、その反応に納得できるけど、玉枝に関して過去の異性との関わりが語られる台詞は一つもありません。いわゆる典型的な「同性がゲイ/バイであると知り、自分も性的な目で見られてるものだと思い込む」タイプなんだというのは伝わってきました。

香苗は3人の中では一番、彼がゲイであろうがなかろうが、関係性に変わりはないと思っているように見える。けど、それを口には出さない。何故なら他の2人がそうは思っていなさそうだから。これまではそれでも上手くいってたんだろうけど、作中では最後の最後まで彼女自身の意見*1が他の2人と一致しなくても主張する、みたいな場面がない。

3人が4人になったことで、本人たちは良い状態になっていると思っているみたいだけど、果たして本当にそうなんだろうか。洋ちゃんが他人と全く関わりを持てない人じゃないと分かった以外、考え方や他人との付き合い方が変わっているようには思えない。

3人のアラサー女性の描かれ方

これは演者ではなく、作中で描かれている望、香苗、玉枝という3人の女性について思うところなので悪しからず。まず、根本的に「私、この人たちと仲良くなれる気がしない」です。先述した「ゲイの役を演じると聞いていたのに、蓋を開けたらゲイじゃなかった」に次ぐ、作品を好きになれないポイントがここ。色々と無理。相容れない。曲がった理屈、どころの話じゃない。

そう思った理由を順番に挙げてみようと思う。まず、自分の目的を達成するために他人の家への不法侵入を躊躇なく行うところ。武藤遊戯に言わせれば「なぁに?これ」だよ。せめて、チャイムを押したけど反応がなくて鍵が開いてたとか、住居っぽいけど表札がかかってなくて鍵が開いてたとか、そういうのを入れれば良かったのに。「空き家で誰もいないと思ったから」というのが背中を押したとかなら、まだ理解できなくはないけど、「屋上庭園に行ってみたいとずっと思っていたから」「東京最後の夜だから」「鍵が開いていたから」を理由に、人が住んでいそうなところに住人の在宅状況すら確認せず、土足で上がり込むってどんなんだよ。

続いて、望の働き方。正社員で就職するも合わなくて転職して契約社員に、ここまでは何の問題もない。でも、大好きなインテリアに囲まれて過ごしたいがために、自身の収入の身の丈に合わない家具を購入し、借金抱えて副業でコンビニバイト?それでも返済できなくなって、コレクションを手放すことに?あ?いい歳して収入と支出のバランス取ることもできないの?学生気分なの?自分で仕事できると自称してたけど、その程度の配分も上手くできてない人が本当に仕事もバリバリにこなせてる?

周囲から期待されまくって育った人が、誰かに頼れなかったり甘えられなかったりするのは分かる。でも、いい大人がいつまでも「自分の思い付きが絶対正しい」のまま突き進んでいこうとするの、見ていてなかなか痛々しくてしんどい。

玉枝については先述した内容と被りますが、成瀬洋がゲイではないと真実を述べる=じゃあ私たちのこと、女(=性的対象)として見てたんだ!という考えに至るのが、あまりに短絡的すぎる。望だけでなく、他の2人もゲイの人と知り合うのは初めてみたいだけど、きっと街中で男性同士/女性同士のカップルとすれ違っても気付かなかったり見て見ぬふりして、視界に入れようとしてなかったんだろうなって。屋上で洋ちゃんと初めて目が合った時のことを思うと、そうなんだろうなって。

香苗はこの3人の中では、他人に対して「○○だから××である」みたいな偏見は持っていないように見える。寮で色々な趣味を持つ人たちとの生活をしてきた賜物だろうか。ドーナツ部の人員を減らさなければならなかった時には、自ら手を挙げたようだが、あの3人で集まってしまうと、結局は誰かの後ろに着いていく、誰かの意見に同調して合わせていくように生きている。周りに誰もいなくなった時、彼女は何をどう判断する人になっているのだろう。

令和の物語としての違和感

あ、そうそう。洋ちゃんが「のぞみ」「かなえ」「たまえ」という名前から、それって…となる件。その世代の方々にとっては、名前の並びを聞いただけでもピンと来て笑えるくらいの知名度みたいなんですが、リアルアラサーである程度は生まれる前の昭和ヒットソングを知ってる私でも、ユニット名と曲名以外は全然知りませんでした。作中で解説ないけど、洋ちゃん見た目は若いけど実年齢は結構な歳だったりしません?

「コロナ禍の令和の東京」が公式の展開上の時間軸みたいですが、「東日本大震災直後の苦しい時期」として10年前に置き換えてみたら、LGBTsの人に対しての認識が望や玉枝レベルでも、どうにか理解できるかもなぁって。つまり、舞台は令和のはずなのに感覚が古いなぁっていうのもストーリーがすんっと入ってこない要因かも。

色々あるけど大きな理由は…

細かいところを挙げていくとキリがないので、この辺りで総括することにしておきますが、私がこの作品を好きになれない要点をまとめると…

  • ゲイの画家を演じると聞いていたけど、蓋を開けたらそうじゃなかった
  • 3人娘たちの価値観や性格が自分とは仲良くなれる気がしないタイプでしんどい
  • 大筋は悪くないけど、もっと手を加えられる余地が沢山見えてしまう

そんなところですかね。洋ちゃんが最後のシーンで3人に伝える、性別を超えて共にいたいと思える関係性というのを描きたかったのが根底にあるとは思うし、そういう温度感で過ごせる人と一緒に暮らしたいという気持ちは分かるけど、それを伝えたそうな割には…とツッコミたくなってしまいところがありすぎて。今年の劇場版のコナンか?!ってくらいツッコミどころありまくる。

ストーリーが腑に落ちないのは、その脚本を4人の出演者が物語として求められた像を形にしているからであって、その物語にこれだけ気持ちを揺さぶられているのは演じ手の力があってこそだと思っています。だからこそ、終演時は全力で拍手を送りたくなるのですが、それは「作品へ」ではなく、「出演者へ」送っているつもりです。

しばらく経ってからでいいので、戯曲出してくれないかな。赤ペン入れて理想のやり取りに変更する遊びしたいな。あとバーで出会うパターン、読んでみたかったな。

あれやこれや言ってしまいましたが、絶賛している人もいれば感動している人もいて、感じ方は本当に人それぞれだなということも実感。観た人の数だけの感想があることがエンターテイメントの面白いところなんだな〜と思っているので、肯定派の方の詳しい感想も読んでみたいです。それでは、東京公演千秋楽に行ってきます。

*1:賛成or反対みたいな見解が分かれるものに対して