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世界のディズニーリゾートと風間俊介さんが大好きすぎて、2018年にJGC修行を決行。お気に入りのコスメや美味しいものについても語ります。イエベ春、骨格ウェーブ(プロ診断)です。

『恭しき娼婦』東京公演を振り返って

アフターで寄ったお店の話ばかり書いてしまいましたが、そろそろ重い腰を上げて1年ぶりに自担が舞台出演した演目について話しましょう。

公式サイトやスポット動画など、いつまで見られるか分からないですが、とりあえずオフィシャルなビジュアルこんな感じですよ~ということで。

公演についての情報

『恭しき娼婦』東京公演は2022年6月4日(土)~19(日)の約2週間、新宿の紀伊国屋ホールにて上演されました。原作はジャン=ポール・サルトルの戯曲、翻訳は岩切正一郎さん、演出は栗山民也さんです。栗山さん、お名前も存在もかなり前から知っていたものの、手掛けた演目を観るのは今回が初めて。今年の10月から開幕する坂本くんの舞台も手掛けるということで、今年は思いがけず年に2本も栗山さんの作品を観賞する機会がありそうな気がしています。

舞台はアメリカ南部。冤罪を被せられて逃走する黒人青年をかくまう娼婦リズィー。だが、その街の権力者の息子であるフレッドはリズィーに虚偽の証言をさせようと、その黒人青年と由緒ある家系の白人の男どちらを救うか選べと迫る。街全体で黒人が犯人と決めつける状況の中で、リズィーが下した決断は…。

作品の公式サイトで紹介されているストーリーは非常にシンプル。6人のキャストが発表されていましたが、この時点でリズィー、フレッド、黒人青年以外がどんな役柄なのかを想像できるほどの情報は与えられていない、という感じでした。

このストーリーを読んだ当初、私の脳内に浮かんだのは法廷を舞台とした情景だったのですが、実際にはリズィーが引っ越してきたばかりのアメリカ南部のとある街の一室だけで展開していきます。

劇場に足を運ぶまで

この演目は東京公演の後、兵庫公演、愛知公演と続いて6/30(木)に大千秋楽というスケジュールで地方公演も予定されているのですが、今年の夏はKinKi Kidsの25周年でいつ何があるか分からない状況だったため、観賞は東京公演に絞ることに。

なお、風間担としては非常にレアな「誕生日当日の現場」があったので、自身の情報サービス枠は該当の公演のみに絞って申し込み!自分の氏名と会員番号が入った誕生日当日のチケットを手元に残しておきたかったので、無事に当選を確認するまではドキドキでした。Twitterで見かける風間担さんの様子を見てると、事務所枠でお誕生日の公演がご用意されなかった方もいらっしゃったようなので…。

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その他、TBSチケットの先行抽選枠で初日を、ジャニーズJr.情報局の枠で東京千秋楽(友達名義の風間俊介情報サービス名義を同行者に設定)を事前に確保、そして誕生日公演の後に友人用に確保としたところ、思いがけず見つけてしまった中央ブロック3列目での前楽をリピチケで入手し、計4回の観賞となりました。

劇場に足を運んでの気付きや思い

初日は上手2列目の壁寄りだったため、かなり舞台上が見切れるのではないかと思っていたのですが、舞台となるリズィーの部屋が横幅の広い長方形ではなく、奥に向かって幅が狭まる台形のような、それも奥に向かっての角度がかなりついた間取り(?)だったので、壁際の前方席からでも全体が見やすく、舞台奥に壁越しに作られていた玄関部分以外は、見えなくなってしまう場面もなく快適に観ることができました。

2回目、3回目も上手ブロック通路側と中央ブロック上手寄りだったのですが、東京楽まで気が付かなかったのが、舞台中央に置かれた芥子色のソファが少し下手に向かって斜めに配置されていたこと!上手ブロックに座っていた時は正面に見えないのは当然と思っていたのですが、最後に入った下手ブロックの通路側から見ると、部屋の中心にあると思っていたソファが真正面に見えるということには、上手寄りに座っていた時には全く気が付きませんでした。

紀伊國屋ホールに足を運んだのは今回が初めてで、この演目にはちょうど良いサイズ感というか、リズィーの部屋の中で完結する話を目撃する場として、ジャストな規模だなという印象を受けました。兵庫公演は『最貧前線』の時に訪れたことがある、兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホールで行われるのですが、舞台の間口が紀伊國屋ホールの9mに対して18mもあるので、どのようにステージが構成されるのかがかなり気になります。遠征組の感想を待ちたいところ。

また今作においてはセットの転換が行われないものの、部屋の窓やドアから差し込む外光や、室内の照明機器などの「照明効果」による時間や心情の表現がとても印象に残りました。本編のストーリーを追うのも、出演者の姿を追うのも人それぞれの楽しみ方ではあるのですが、個人的にはこの「光の使い方」が他の演目では滅多に味わえない上質さだと感じたので、もしこれから初観賞する方の目にこの記事が触れていたら、そんな部分にも注目してもらいたいなと思っています。

作品についての個人的な解釈

さて、今作において言葉で表現するのがとにかく難しいなと思っているのが、この部分です。特に今回はストーリー展開に対しての感想というよりも、いつの間にか自分自身が抱いている価値観について考え込んでしまうような、そんな複雑さがあります。

会場に足を運んだ方による、「風間俊介」という俳優が演じたフレッドという役柄についての感想としては『最低な男だったな』とか『久しぶりにクズなかざぽん観られたな』みたいなツイートをよく見かけました。確かに作中で展開している起承転結を踏まえると、フレッドの行動は現代の日本を生きる私たちには到底理解できるものではないのかもしれませんが、どちらかというと私の目には『弱くて可哀想』というのが彼への印象としての大部分を占めているように写りました。

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娼婦という立場であり、ニューヨークから単身で今の場所にやってきたリズィーという存在も、白人に対して手を出したと町中の噂になっている黒人男性も、フレッドというこの地の権力者の息子として生きる白人の成人男性からしてみると「所詮、お前らなんて」と蔑んだ目で見るような対象なのだと思います。

しかし、それなのに自分との情事*1に快感を覚えたというリズィーの発言にやけに突っ掛かったり、あれほど「黒人は悪魔だ」「白人が黒人を殺すことの何が悪いのか」と口にしていたにも関わらず、いざバスルームに隠れていた黒人男性を目の当たりにしたフレッドは震え上がり、近距離で銃を手にしているにも関わらず、命を狙うでも怪我をさせるでもなく、威嚇の発砲をして部屋から逃げ出す黒人男性を追うに留まります。

また自分にとっての父である上院議員によって、フレッドの思惑通りには心を動かさなかったリズィーの気持ちが揺さぶられているのを、壁際で何も言わずに見ている姿や、会話の中に出てきた「おふくろ」のワードに過剰な反応を見せる様子、リズィーとの行為の中で赤ちゃん(還り)プレイを愉しんだと思われるセリフなどから感じたのが『家長へのコンプレックス』と『母性への飢え』でした。

従兄弟のために目撃者で当事者であるリズィーをどうにか丸め込む、というのがフレッドが一人の娼婦に接触した目的なわけですが、実の兄弟とかじゃなく従兄弟なんですよね。血の繋がりといえばそうだけど、どちらかといえば当の本人やその母親の尊厳を守ることよりも、血筋の中にそういう存在がいると自分達の家にとって不都合だからこそ、この出会いに至った気がしていて。

フレッドが行動することになったのも自らの意思が自発的にそうしたというより、上院議員がリズィーに投げかけたのと同じように、本人自らそう動くように「何か」を言われていたのではなかろうか、と当初の態度から変化の兆しを見せ始めるリズィーの様子を見つめるフレッドの視線から感じる部分がありました。

「人種差別」という部分が本筋においては特に目立っているものの、それ以外にも「男尊女卑」や「職業階級」のように、作中の世界の中では当たり前とされていた人々の間における【優劣】が確かに存在しており、登場する6人の中でその頂点にいるのが上院議員なのは明らかであるものの、必ずしも黒人男性だけが最下層というわけではなく、早朝に到着する電車に一人で乗って移住してきた「女性」のことを、黒人男性はどこかで「自分の立場に理解を示す余地がある=男性と比べた場合はもちろん、同じ女性の中でも地位の低い存在ではないか」と思っていたのではないか、そんなことまで考え始めてしまいました。

物語の最後にフレッドは、それまで発しなかった自分の名を名乗り、従兄弟のこともリズィーのことも、自らが望んだ結末になったかのような一言を発しますが、その表情は何か腑に落ちていない様子に見えなくもない、そんな解釈もできるんじゃないかと、観劇を繰り返すことによって感じたのでした。

シンプルに結論がどうだったとか、総合してどう思ったかとまとめるのが難しかったので、今回は思い浮かんだことを思い浮かんだ順に書いてしまいました。まとまりがなく分かりにくい部分も多かったと思いますが、ここまで読んでいただけたのであれば、それにはとにかく感謝です。

風間俊介という一人の俳優の将来がますます楽しみになる、そんな演目だったと感じています。それでは。

*1:同じこと思ってる人が多かったけど、フレッドちゃんリズィーが"初めて"の相手な気がする